小学生高学年の頃の話。
私は子どもの頃、お盆が大好きだった。
毎年お盆になると、千葉の母方の実家に親戚一同集まった。
母方の祖父は裕福で、土地も広く、大きな家に住んでいた。
母は兄弟が多く、6人兄姉の末っ子で、兄が2人、姉が3人だ。それぞれが結婚していて子どももいる。だから親戚一同が集まると、それはもう賑やかだった。
当日、お昼頃に車で実家に到着すると、畳敷きの大きな和室に、沢山のご馳走が準備されていた。
叔母さん達がテキパキと料理を準備し、叔父さん達が語り合っている。
両親にうながされ挨拶すると「おお、また大きくなったねぇ!」と喜ばれた。
ただ、大人達と挨拶したり世間話をするのは退屈で苦手だった。これは私だけでなく、他の親戚の子達も同じであった。
私は隙を見て和室を抜け出すと、台所でせわしなく動く叔母さん達を尻目に、隣にある居間の襖の前に立つ。
中からは子ども達の楽しげな声が聞こえてくる。
私を含め親戚の子ども達は、酔った大人達にしつこくされるのが嫌だったので、居間に避難してくるのだ。
私が襖を開けると、年の近い子から幼稚園くらいの子まで、テレビを見たり、ソファーに寝そべって携帯ゲームをしたり、持ってきたオモチャを見せ合ったり、女の子達はなぞなぞや怖い話や占いの本を読み合って遊んでいた。
居間の奥には仏壇と盆提灯、たくさんの菊の花。壁の高いところには、会った事も無いご先祖様達の白黒写真が、立派な額に入れて飾られている。私は色とりどりに幻想的な光を放ってくるくると回る盆提灯が大好きだった。
私は親戚の子ども達の中では最年長だったが、やはりこちらのほうが居心地がよかったし、みんなと遊ぶのが楽しかった。
仏壇にお線香をあげ、りんを叩き、私はすぐに子ども達の輪の中に入った。
皆とゲームをしていると、ほどなく宴会の準備が整ったと、叔母さんが呼びに来る。
ぞろぞろと和室に移動して、ご馳走が並ぶ長いテーブルの下手側に、子ども達は固まって座る。
上手に座る一族の長、おじいちゃんが乾杯の音頭を取って、宴会が始まる。
お刺身、ローストビーフ、天ぷら、煮物、海鮮焼き、漬け物、ちらし寿司にジュース。大人達はお酒。
私たちはご馳走をお腹いっぱい食べると居間に移動し、また隠れんぼやなぞなぞや怪談などを楽しんだ。
そして夕方になり、日が落ちてくると、いよいよお墓参りの時間だ。
宴会のご馳走や親戚の子達と遊ぶのも楽しみだが、私はこのお墓参りが大好きだった。
子ども達は、色とりどりの提灯を渡される。これにまだ火は点けず、大人達の後について、実家からそれほど離れていない墓地へ向かい、梨畑に囲まれた坂道をぞろぞろと歩く。
昼と夜の中間の時間。オレンジや紫やピンクの混じった、なんとも不思議な色の空の下を、私たちは影絵のようになって、なぜだか声を潜めてヒソヒソ囁きあいながら歩いた。
墓地につくと、大人達がご先祖様の墓石を水で洗い、花を供えて、みんなで順番に線香を供える。
そして墓地から帰るとき、子ども達は提灯のロウソクに火を灯してもらうのだ。
先ほどよりも日が落ちた薄闇の中に、提灯に描かれた蝶や花などの綺麗な模様が明るく浮かび上がり、その絵から透かして見えるロウソクの炎が子ども達の瞳に映ってキラキラと輝いていた。
子ども達はこれから火のついた提灯を、先ほどの居間の仏壇まで持って帰るのである。
今思うと、ご先祖様の霊をお墓から仏壇に連れて行くような意味だったのかも知れないが、その当時は単に肝試しのような感覚だった。
この時、決まりがあった。
家に着くまで、決して振り返ってはいけない、というものだった。
何故かは知らなかった。子ども達の間では、振り返ったら呪われるとか、お化けが見えるとか、なんとも子どもらしい怪談が作り上げられていた。
大人達もキツく警告するような空気ではなく、何となくそう教えられてるからなるべくそうしなさい、程度の温度感だった。何故振り返ってはいけないかなど、理由を説明することもなかった。
私たちは大事な宝物を運ぶように慎重に、そして任された使命をやりとげてやろうという、どこか誇らしげな気持ちで提灯を掲げて帰路についた。
道の左右に並ぶ梨の木々が作る真っ黒な影の中、提灯の明かりで浮かび上がるみんなの顔が可笑しくて、クスクス笑い合う。
私は列の最後尾にいてみんなの背中を眺めていたのだが、何度かこの行事を行ってきた慣れからか、はたまた和やかな雰囲気に当てられ緊張が緩んだのか、その年は、ほんのちょっとしたいたずら心が湧き上がってきた。
私は、誰にも気付かれぬよう、こっそりと墓地の方を振り返ってみた。
……
そこには、別段変わったものは何も無かった。
ただ、最後尾からのみんなの背中が並んでいる道路の光景が、誰もいない道路の光景に変わり、若干心細い気持ちになっただけだった。
なぁんだ、何にも起こらないじゃないか。
私は安心したような、ガッカリしたような気持ちで溜息を一つつき、前に向き直った。
その後、無事に仏壇まで提灯を運んだ私たちは、実家の所有する梨畑で鬼ごっこをした。
その最中、私は畑で地面に掘られた1.5メートル、深さ50センチほどの穴を見つけた。中には何やら灰色の砂のようなものが敷き詰められていた。
面白そうだと思い、飛び込んだ。
後で知った事だが、それは梨の木の余計な枝などを切り落として燃やした後の灰を捨てるために掘った穴だった。
灰はまだいくらか焼けていた。
焼けた木くずがいくつか靴の中に入り、足に痛みを感じた私は慌てて穴から飛び出し、靴を脱いだ。
足を火傷した私は、大泣きしているところを親戚のお兄さんに背負われ、病院に運ばれた。
これが、決まりを破った事によるたたりだったのか、子どもの無知と大人の不注意が重なった偶然の事故なのかはわからない。
この時の足の火ぶくれの跡は、大人になった今でも残っている。