朝、身支度を済ませて勝手場を覗くと、
そこには朝餉の準備に勤しむ宝良くんと辰義くんの姿があった。
「あれ、七緖!」
「おはよう。宝良くん、辰義くん」
「……おはよ」
「今日は一段と早起きだな」
「うん。今日は私、出来るだけみんなの手伝いをしようと思ってて」
「……? 何で」
「ふふ、ちょっとね。
料理、ここにあるのは運んでいいんだよね? 持ってくよ」
「え、いいよそんなの!
せっかく早く起きたんなら、散歩でもしてきたらどうだ?
今朝は空気が澄んでて美味いぞ」
「え……でも……」
「膳を運ぶのは男の方が早いし、それくらいの手は足りてる。
今あんたがすることは、特にない」
「気持ちだけありがたくもらっとくよ。
ありがとな、七緒!」
「う、うん……」
「掃除ならいくらでも手伝わせてやるから、また後で来たら」
「辰! お前なぁ……!」
「……ここの仕込みはある程度終わったな。
俺、裏で昼見世用の準備してくる」
「あ! おいこら、ちょっと待てよ辰……!」
「うるさいなぁ……」
わいわいと言い合いを初めてしまった二人には、
当分話しかけてもとり合ってもらえないだろう。
そう思い、私は頭を下げてその場を立ち去る。
出だしは失敗してしまったけど、まだ今日は始まったばかり。
チャンスはいくらでもあるだろう。
そのまま庭へ足を伸ばすと、和助さんに出くわした。
「おっと……ん? 七緒か」
「和助さん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「……あの、何かお手伝いできることってありませんか?」
「ん? なんだまた突然に」
「えっと……手が空いているので……。
書き物でも、届け物でも、なんでもいいです」
「あー……でも、今は特にねえな」
「……そうですか……」
「頼み事があったら、こっちから声をかける。
手が空いてるなら、人を手伝うより自分の好きなことをしたらどうだ?」
「そ、そうですね。わかりました」
またしても上手くいかなかったと思いながら、和助さんと擦れ違う。
――と、縁側から視線を感じた。
見れば、白玖さんが立っている。
「白玖さん、おはようございます」
「おはよう」
挨拶を返してくれるものの、白玖さんはどこか仏頂面だ。
「白玖さん……?」
「……あんた、前に俺が言ったことをもう忘れたの?」
「え……?」
「仕事は各々にあって、裏方には裏方の、表方には表方の仕事がある。
あんたはうちの面方なんだ。
それを、向こうから頼まれたならともかく、
わざわざ自分から裏方や表方の仕事を探しに行くなんてどういう了見だ」
「あ……え、えっと……」
「和助にだけじゃなく、宝良と辰にも手伝いがないか聞いたみたいじゃないか」
どういう意図なのかと、白玖さんの瞳が無言で訊ねてくる。
私は諦めて、白状することにした。
「……実は……。
私が万珠屋に来てから今日で一年経つんです」
「……へぇ。もうそんな経つんだ。
……それで?」
「……それで、皆さんに日頃の感謝を込めて何かお礼をしたいなと思いまして……」
「で、手伝いでもしようと思ったってわけ?」
「はい……。
すぐに私がお役に立てることと言ったら、それくらいだと思ったので……。
身元もわからない私をこうやって見世においてくれて、皆さんには本当に感謝しているので……――」
「なるほどな。そういうことだったのか」
笑い混じりの声に振り向くと、いつの間にか和助さんが戻ってきていた。
その後ろには、宝良くんと辰義くんもいる。
「あのな。感謝してえのは、こっちだって同じなんだよ。
お前が面方として働いてくれるようになって、うちとしても助かってるんだ。
座敷の評判は上々だしな」
「和助さん……」
「……ま、そうだね。
あんたが真面目に稽古に励むから、他の面方もつられて上達が早くなってる。
あんたは充分、役立ってるよ」
「白玖さん……ありがとうございます」
「オレも、お前にはすげー感謝してるぜ!
七緒が来てから毎日が一層楽しくなったしな!」
「そのお陰で、見世の中がより五月蠅くなったような気はするけど。
……でも、悪くないんじゃない」
「宝良くん、辰義くんも……」
次々に優しい言葉をもらって、胸がいっぱいになる。
私は思わず浮かんだ涙をこらえて、代わりに目一杯の笑みで応えた。
「皆さん。不束者ですが、これからもよろしくお願いします!」
深々とお辞儀をして顔を上げると、目に入ったのはみんなの温かな笑顔だった。
* * * * *
(……良かったね、七緒ちゃん。君が嬉しそうで、僕も嬉しいよ)
出て行くタイミングを見計らいながら、
少し離れたところから一部始終を見ていた僕は、思わずくすりと笑みを浮かべる。
君は、もう立派に万珠屋の一員だ。
今日までの一年も、明日からの一年も、
君にとってかけがえのない思い出となっていくのだろう。
(僕は、あとどれくらいこうして君を見守ることが許されるのかな……)
皆が奥へと入っていくのを見届け、僕は静かに息をつく。
(今日は大尽として顔を出して、たくさん頑張ってきた彼女を思い切り労ってあげよう)
(和助さんたちも座敷に招き入れて、お祭り騒ぎをするのもいいかもしれないな)
(その方が、きっと彼女の笑顔をたくさん見ることが出来る)
幸せそうに微笑む姿を想像しながら、裏庭へと向かった。
――七緖ちゃん。
僕は、誰よりも君の幸せを願ってるよ。
……心から。